ページ

2018年8月12日日曜日

1983年PL学園

今年は夏の甲子園100回の記念大会ですね。
いろいろな試合、年の思い出があります。

高校野球の思い出

その中で一番過去の思い出といえば、
水野選手の池田高校と1年だった桑田選手、清原選手のPL学園ですね。
私が小学生の低学年だったころです。

両親が野球好きなので、高校野球をよく見ていました。

水野選手が在籍していた当時の池田高校、
1982年夏の大会、83年の選抜と夏春連覇しました。
小学生の頃だったので、
池田高校が一番強い高校、優勝する高校と思っていたのでしょう。
やまびこ打線という言葉もこの時覚えたのかもしれません。

対してPL学園、桑田選手、清原選手は当時1年生。
準決勝で池田高校とPL学園が対戦することになりました。
(当時は今と違って毎回くじをひいて、次の対戦相手を決めていましたね)

PL学園の試合前のエピソード

二宮清純さんのコラム
試合前にPLの中村監督は選手に
「負けても試合後のインタビューで池田はすごかったと言わないように」
と伝えたとか。
監督は同じ高校生だという立場を意識させたかったのでしょうが、
選手からすると負けること前提と捉えられてもおかしくないですね。

先発した桑田投手は
「9点以内に抑えろよ。10点以上取られたら大阪の恥や」と言われて、
逆に「毎回1点ならいいんだ」と思ったとか。
そのくらい当時の池田は抜けた存在だったということですね。

試合結果 PL学園 7 - 0 池田

池田高校が、1年生投手と1年生4番のチームに負けた、
しかも7-0の大差で。
とても衝撃でした。試合内容を覚えてはいませんが。(;^_^A
この後の決勝戦も横浜商に勝って優勝。

この年の夏から1985年の夏まで、
PL学園と桑田選手、清原選手を中心に高校野球が回っていましたね。

おまけ(1983年あかぎ国体(群馬県))

その年、私の地元群馬で国体があり、甲子園で上位に進出した高校が出場しました。
優勝したPL学園も出場しました。
親がチケットを取ってくれて、1回戦(たぶん第一試合)が行われる桐生球場まで暗いうちから出発していきました。
とてもうれしかったのを覚えています。

清原選手がホームランを打ったみたいですが、全く覚えていません(;^_^A 
桑田選手が8番に入っていたのは覚えているのですが、
先発ではなかったみたいですね。


0 件のコメント:

コメントを投稿